「プロシャ人」レオン・フラピエ(短篇集『女生徒』より)1905年

 1863年フランス、パリに生まれた作家レオン・フラピエ
彼の1905年に発表された短篇集に「プロシャ人」という10ページ程度の小説がある。
 主人公は後にプロシャ人と呼ばれることになるツリコ。生粋のフランス生まれである。
彼は気さくで人当たりがいい青年で、馴染みの場を多く持ち、地元を我が家とした。

「挨拶を交わし、知合ひになり、人からも認められるのが好きだった」

そんな誰からも好かれるフランス生まれの青年が、なぜプロシャ人(外国人)として非難され、住み慣れた町を追い出されることになるのか?

 プロシャ人。
それは最初、親しみをこめた綽名だった。
 ことのきっかけは、劇団に所属する貧窮していた友達が病気になり、主人公が、その代役をして稼いだ金を、その病気の友へ届けようとしたのだ。
その劇で代わりにやった役が、プロシャ人だった。
大柄で金髪の主人公はプロシャ人をやるのにもってこいだった。

「−−−今日は、プロシャ人。
 −−−皆さん、プロシャ人がおでましです。」

誰もが楽しげに主人公を綽名で呼び始めた。
そのうち綽名が慣れ親しんだ顔のようになる。
主人公の本当の名前は忘れ去られ、彼は「心中で喜びながら、少し当惑したように笑った」
彼の個人名は忘れられ、奪われた。
ロバに似ていればロバと呼ばれ。
太っていれば豚と呼ばれる。そのような類似が一人の人間を記号化することがある。
その人間の内容は忘れられて、記号の持つ属性が他人の見方を規定する。

「綽名が人の心を惹かなくなるときは、もう動きのとれないものとなっているのだ」

空っぽの記号は飽きられやすい。だから、その定型がイライラする。
すると、そのイライラの入れ物が、又も個人の本性を消した類似の記号となる。綽名がターゲットになる。
豚、はげ、ちょう○ん、き○がい!
 「けちなプロシャ人!」
 政治の季節がやってくると、主人公は攻撃の対象となってしまう。
論争で有利になった主人公に、何も言えなくなった論敵がパンチを入れるように「けちなプロシャ人」と叫ぶのだ。

「−−ああ!ほんとにいやな奴!お前さん、酢漬キャベツの臭いがするよ!」

主人公は酢漬キャベツの臭いなどしていない。ただプロシャ人という記号の属性として反射的に放たれた唾だ。俺らとお前は違う、お前は敵だ。
唾は、そう主人公を判決する。
しかし彼らは同じフランス人だ。それも記号なり。
だから誰もが唾を放たれ、敵だと言われうる恐怖と不安を背景に、敵に唾を放つ。
潜在的に敵としてありうる記号の中で、繋がる我々。だから誰もが、他人も自分さえ、知りえていないんだ、という親しさの中で、空っぽの記号属性以外には知りえない。

「すると、彼が知り抜いていると信じていた、そして、自分もその友達として知られていると思っていたこの人達を、ツリコは殆ど知りもしなければ、また彼等から知られてもいないことに、ふと気づいたのだった。要するに、それは単に習慣的に顔を見合すだけで、表面だけだった」

そう思った主人公は、もう外人は雇えないという理由で職を解雇される。
本当に実態として異邦人になっったのだ。変身だ。
フランス人の彼はフランス人の敵になり、フランス人に唾を吐く。

「本当に彼自身プロシャ人だと感じた」

そして彼は住みなれた町を出て行く。



「女生徒 他八篇」フラピエ作 桜田 左訳
                    岩波文庫
「  」部分は本文からの引用です。