2010-01-01から1年間の記事一覧
自分自身の似姿を作る人間。 キリスト、そして、この映画のアンドロイド(なぜ人間型ロボットなのか?)。 アンドロイドの名はマリア。 彼女(彼)が、我々の罪を被り、メトロポリスの危機が去るまでの映画。 それは未来の危機(そして、過去の神話) 作品の…
アブラゼ監督の故郷グルジアでスターリンは生まれた。 この映画はソ連時代の映画であるが、ソ連以後に撮られたように錯覚される。それは映画の中で独裁者が非難されているからではなく、 宗教を無くした国を非難しているからでなく、 役者の顔が自由で活き活…
河辺に靴が落ちている。なんだろうと?見ている主人公(と観客) そして、自分の靴が片方無い事に気づく主人公(あたしの靴ね(笑) この映画の主人公=朋子は、とにかく突っ走って、後から、置いてきてしまった自分に気づくのです。 そこが可笑しい。 それを…
敵の大砲の弾に当って、まっぷたつになって生きていく子爵のお話です。 体を縦に割られ、その右側が悪の性格(部分)になって国に帰ってきます。 ちなみに失われた左側が「善」という設定です。 悪になった右側半身の子爵は、自分の国で悪さの限りを尽くしま…
我々は正気を保つため、日常のありきたりな、寂寞の感を催させる光景を無視して通勤、通学を行います。その自己の統合からロスしていく寂しさに直面する光景は苦痛です。傾いた電柱や、割れた窓に張られたガムテープ、店先の丼モノのサンプル、手書きの値札…
この映画のように、下(しも)から人間を捉えていこうとした時、切れ目の無い流れに、ノリが生まれる。 人と人と人と人「と」で繋いで、韻を踏みノリが出来る瞬間、 映像のモンタージュに拠らないツナギが、この時間=リズムを作り出している。 ただ、個々の…
今は昔、20世紀の初頭。世界は恐慌状態にありました。 子供は常に貧しいのですが、大人も職を失い、子供と同じ貧しさに直面しました。それは存在の貧しさでした。恥ずかしくて、大人は拗ねました。 主演の岡田時彦さんの表情には不平が底流しております。 そ…
2人で話しているぶんには話し易いけど、3人以上になると、突如、話がし難く感じられる。何でだろうか?そんな自分自身の疑問を思い出せてくれる良い本が、これでした。 まず本書の目次から。 第一章 血縁幻想 第二章 母親の出現 第三章 言葉の発見 第四章 …
形見の懐中時計を耳元に持っていき、亡くなった主の写真を見ている母。 父のいない家庭。それが落ちて行くお話。 異母兄弟。弟が兄を殴り、泣き崩れるほどには大げさであるけれど、仲良き事幸せなりと映画は終わるらしい。 「らしい」というのも、 最初と最…
「たかが映画、だけど映画」と、映画監督の神代辰巳は言った。 ”たかが”、、、、、”だけど”と神代は思いつめていた。 服飾デザイナーの山本耀司は”たかが”、”されど”と服を作ってきた。 ”だけど”と”されど”。同じようで、この2人の男、いったい、どう違うの…
<少年は犬になる> 子供達と魔法使いのおじいさんが、草原で踊り歌うところを、遠くから撮っているのが印象的な映画でした。見る人が、それぞれの解釈を挟める余地のある映像の作り方がなされています。この映画を見た個々の人が、より深く自分を知るための…